ども、サバ缶です!
最近Twitter(X)で話題になっている
「親父マシン」
この親父マシン(おやじマシン)には昔こっぴどくやられました(^^;)
親父マシンと聞くと僕が小学生だった頃の事を思い出します。
※かなり前の話なので曖昧な部分もあります、ご了承ください。
20年以上前のミニ四駆シーン
あれは僕が小学生のときです。
もう20年以上経ちますかね。
僕の生まれ育った沖縄ではジャパンカップの開催がない代わりと言ってはあれですが、
店舗レースがめちゃくちゃ熱かった。
週末になると必ずと言っていいほどミニ四駆レースが開催されていました。
しかも、おもちゃ屋さんだけではなく大型ショッピングセンターから近所のホームセンターまで開催する店舗もさまざま。
あの頃はミニ四駆の人気がもの凄く、親子で参加する人も多かったのでいい集客になったんだと思います。
だからか景品もめちゃくちゃ豪華でした!
自転車やゲームボーイなど子どもには夢のような商品が多かったのを記憶しています。
コースはバンクやスロープもあの時代はまだ無いのでフラットコース。
大きい店舗ではワンフロアーの半分以上をミニ四駆コースにした大会もあったり、めちゃくちゃ盛り上がっていました。
あの空気感
参加するミニ四駆レーサーは大人がガッツリ参加するような空気ではなく、あくまで子どものミニ四駆大会みたいな感じ。
(ジュニアクラスなどのクラス分けがなかったので大人が出ても問題はなかったとは思いますけど…)
なんと言えばいいのか、
大人が出ちゃうのはマズいよね。みたいな雰囲気(^^;)
お父さんは子どもの付き添い的な。
だからか、
お父さん→メカニック
子ども→スタート係
みたいな構図が自然と出来上がっていました。
今とは真逆のカスタムが主流
その頃マイブームだった改造はフロントタイヤをゴムりん付きアルミローラーに変更してコーナースピードを上げるという改造w
ペラシャを抜いて2駆にする改造も流行っていました。
タミヤ公式ではローラー数が6個まで、地元では無制限。
シャーシからローラー、すべてが社外品をみんなが使っている状態。
有名どころで言えば「狼」「コブラ」あたりでしょうか。
モーターも手巻きorアホみたいな回転数をうたう社外品が主流。
タミヤ純正モーターを付けていると笑われましたね(^^;)
大会に行くとオジサン達が
「モーターの熱でボディが溶けたよ〜w」
「スプレー(一時的に回転数を上げるスプレーが売っていた)して3周したらマシンが燃えてさ〜w」
みたいな話ばかり。
嘘のような本当の話です(^^;)
シャーシ・ステー類も金属製でタイヤはスポンジタイヤが主流。
ホイールはワンウェイホイール一択でした(^^;)
親父マシンとの出会い
そんなミニ四駆レースに小学生の僕は夢中でした。
親に頼み込んで毎週どこかのレースに参加していましたし、お手伝いを頑張ってお小遣いをもらってはミニ四駆につぎ込んでいました。
もちろんお年玉もミニ四駆に全ツッパですw
考えて考えて頑張って作ったマシンを持って大会に参加する日々。
でもどんなにお金をかけても、どんなに頑張って作っても幼稚園ぐらいの女の子にぶっちぎられる訳ですw
同じぐらいの子も小っちゃい子も皆んな速い。
何回もレースに参加してると小学生の僕でも気づくわけです。
他の子のマシンがコースアウトしたら観客席からお父さんが慌ててマシンを拾いに行くんですもんw
電池交換も
セッティングも
ぜーーーんぶ、お父さん。
だからか入賞してもあまり嬉しそうじゃないし。
「みんなのミニ四駆はお父さんが作ってるんだな…」と気づくのに時間はかかりませんでした。
悔し泣きの日々
僕の父はプラモデル系が苦手だったのでミニ四駆にはいっさい手を貸してくれませんでした。
もちろんパーツを好きなだけ買ってくれるスポンサーになってくれるわけもありません。
みんなお父さんにミニ四駆を作ってもらってレースに出てるんだと気付いてからは悔しいのと切ないのとで毎週泣いて帰ってました。
羨ましい気持ちも大きかったです。
負けるのも悔しいんですが、
何というか、小学生の自分と戦う相手が大人(知識・財力・仲間など)というどうする事もできない状態で、もがいてもがき苦しんで努力してもどうにもならない不甲斐なさが悔しかったんだと思います。
(ネットもない時代なので全てが手探り状態で遠回りの連続でした)
それからは数年頑張っていましたが、ミニ四駆は引退しました。
親父マシンに言いたいこと
まだミニ四駆のコースがあり、景品もそんなに豪華ではありませんがレースも開催されています。
大人が堂々とミニ四駆で遊べる良い時代になりました。
無料でコースを設置してくれているおもちゃ屋さん、コジマ電機には連日おじさん達が楽しむ姿が見られます。
またミニ四駆で一緒に遊びましょう!
おわり
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